眠くなってきた
全然眠れないので、温かい紅茶に砂糖と牛乳と、少しのブランデーを入れて飲んでいる。
この前読んだ、短編集の2つ目の話を読む。
角川文庫から出ている、窪美澄の『水やりはいつも深夜だけど』。
どうやらこれは「家族」がテーマの短編集らしい。
別に作者を知っていたわけでもなく、ただパッとタイトルを見て買った本。
いつ買ったのか、どこで買ったのかすら覚えていない。
そういう本が私の本棚には沢山ある。
本を買う時は、いつもタイトルか表紙を見て買う。
裏表紙に書いてあるあらすじは読まない。目次も見ない。
短編集であることに、読み始めてから気付く。
私は特定の作者のファンではないので、この人の本は絶対買う、ということはしない。
おかげで本棚にはありとあらゆる人の小説で溢れてる。
有名どころもちらほらいるし、聞いたことのない人の本もある。
どうしても本を捨てられないので、どんどん増えていく。
引っ越しのたびに「本」と書かれた段ボールが増える。重い。
今の時代に神の本か、とも思うけど、紙の本の方が読んでいる気がする。
頭に入ってくる気がする。
気のせいかもしれない。
もともと文字を紙に書くことも好きなので、紙そのものが好きなのかもしれない。
後味が悪かったり、読みづらい文体だったりしても、「読まなければよかった」と思う小説は一度も出会ったことがない。
だから小説を読むのが好き。
ただ、それだけ。
ただの雑念
ヨルシカの「思想犯」のYouTubeを見て、してやられた、という気持ちになった。
いつの間にか私はYouTubeの動画のアスペクト比は16:9が「普通」であると囚われていた。
この怖さがわかるか。
誰かが始めたことが自分の普通になって、気が付けばそれに足をからめとられる感覚。
どの表現も16:9のアスペクト比に収まらなくていいはずなのに。
驚いた。気付かされた。
しかもこの横長なのをうまく使って表現してるんだよね。
なんだろうなあ、ヨルシカの曲は生きづらさみたいなものを感じるから好きなのかな。
物寂しくて、少し懐かしいような。
基本的に悲しい話のほうが好きだしな。
ハッピーエンドってどうにも現実味がないように感じてしまう。
「いつまでも幸せに暮らしましたとさ」
って、その幸せの中にも苦労や悩みはあったろうに。
これわからないな、私がただ単に幸せな人にも苦労や悩みがあってほしいって願ってるだけなのかもしれない。
そう考えるとちょっと滑稽だなあ。人間らしいと言えば人間らしいけど。
人間らしい人間って何?てなるんだけどね。
こういうことを音楽聴きながら一人考えてる時間は好き。
思考が好きってちょっと考えものなんだよね。
本当の気持ちとか本当の自分って何だろうと思って、哲学系の本をちょろっと読んだことがあるんだけど、結局本の中に答えはなかった。
「本当の自分」なんてものはないし、あったとしても自分で定義してるだけ。
この自分になったことを環境のせいにしてみたりするけど、結局は自分の選択の積み重ねだって気づいた時の絶望。
変わりたいと思いながら現状維持のほうが圧倒的に楽だから、変わらないことを選択してる自分への失望。
そういうことを考えすぎて少し心が疲れてた時、本を読もうと思って読んでみたら、目が滑るというか、文章自体は理解できるのに全然内容が頭に入ってこなくなってたんだよね。
それで全然本を読まなくなった。
もうそろそろ読めると思うんだけど、新しい情報を処理するのも結構エネルギーいるんだよね。
なんでも億劫に感じる自分とさよならしたいけど、そういうとこも含めて自分で自分を愛してあげないとなあ。
人生なかなかままならない。そういうほうが好きだけどさ。
音楽は人生を豊かにするかもしれない
じめじめした季節が苦手なアオスミです、どうもこんにちは。
湿度が高いとどうも気持ちも湿度が高めになってしまってどうしようもない。
そういう時はいつも、歌詞がなくて耳ざわりの良い、ピアノがメインのジャズを聴くことにしてる。
音楽はいつもそばにいてくれるなあ。
楽しいときに聴くときより、気分が沈んでるときに聴くときのほうが沁みる気がする。