記憶と記録。その狭間。

ゲーム好きな人間が日々の所感雑感をだらだら書くブログ

ただの雑念

ヨルシカの「思想犯」のYouTubeを見て、してやられた、という気持ちになった。
いつの間にか私はYouTubeの動画のアスペクト比は16:9が「普通」であると囚われていた。
この怖さがわかるか。
誰かが始めたことが自分の普通になって、気が付けばそれに足をからめとられる感覚。


どの表現も16:9のアスペクト比に収まらなくていいはずなのに。

驚いた。気付かされた。
しかもこの横長なのをうまく使って表現してるんだよね。

 

youtu.be



なんだろうなあ、ヨルシカの曲は生きづらさみたいなものを感じるから好きなのかな。
物寂しくて、少し懐かしいような。
基本的に悲しい話のほうが好きだしな。
ハッピーエンドってどうにも現実味がないように感じてしまう。
「いつまでも幸せに暮らしましたとさ」
って、その幸せの中にも苦労や悩みはあったろうに。

これわからないな、私がただ単に幸せな人にも苦労や悩みがあってほしいって願ってるだけなのかもしれない。
そう考えるとちょっと滑稽だなあ。人間らしいと言えば人間らしいけど。
人間らしい人間って何?てなるんだけどね。
こういうことを音楽聴きながら一人考えてる時間は好き。



思考が好きってちょっと考えものなんだよね。
本当の気持ちとか本当の自分って何だろうと思って、哲学系の本をちょろっと読んだことがあるんだけど、結局本の中に答えはなかった。
「本当の自分」なんてものはないし、あったとしても自分で定義してるだけ。
この自分になったことを環境のせいにしてみたりするけど、結局は自分の選択の積み重ねだって気づいた時の絶望。
変わりたいと思いながら現状維持のほうが圧倒的に楽だから、変わらないことを選択してる自分への失望。


そういうことを考えすぎて少し心が疲れてた時、本を読もうと思って読んでみたら、目が滑るというか、文章自体は理解できるのに全然内容が頭に入ってこなくなってたんだよね。
それで全然本を読まなくなった。

もうそろそろ読めると思うんだけど、新しい情報を処理するのも結構エネルギーいるんだよね。
なんでも億劫に感じる自分とさよならしたいけど、そういうとこも含めて自分で自分を愛してあげないとなあ。

人生なかなかままならない。そういうほうが好きだけどさ。